「朝日のあたる家」自分の価値観を押し付ける人たち。なぜ、人はそれぞれ違うことを認めないのか?

見廻りくま

2015年05月28日 21:14



映画撮影を終えると、お世話になった方々に挨拶まわりをする。本来、それは監督の仕事ではなく、製作担当がするのだが、僕の場合はスタッフが集まる前に、1人でロケ地に乗り込み。いろんな人を訪ね、応援を求める。そんなことを1−2年続ける。だから、本来、製作担当が行くべき挨拶まわり。僕も同行する。感謝の気持ちと無事撮影終了を伝えるためだ。ただ、スタッフから言われる。

「本来、それは製作担当がやるべきこと。監督は早く東京に戻り、編集作業を始めるべき。そして少しでも早く完成させて、応援してもらった人たちに見てもらうことこそが大事。最初は監督と出会ったことで、応援してくれた方々でも、その後、製作担当に引き継がれた仕事。それを監督が何十人もの人を何日もかけて訪ねるのはどうか? 建築業でも、ビルを建てたからと、社長が関係者を訪ね挨拶をしてまわったりはしない。それは現場担当がやるじゃないですか?」

確かに、その通りだ。が、僕は1人1人の顔も名前を知っているし、何度もごちそうになったり、いろんなことを教えてもらったりしたので、感謝の気持ちを伝えたくて、お礼参り(?)をしているのだ。が、何カ所かの地域で映画を作りをすると、あれ?と思うことも出て来た。

ある街での撮影後、いつものように地元の方と製作担当と、僕の3人でお礼参りツアーをした。その中で、あるお弁当工場を訪ねることになる。そこは大量のお弁当をもの凄く安い値段で提供してくれた。お礼を言わなければならない。



そのとき地元の方はいった。「俳優やスタッフ全員でお礼に伺いましょう。監督と製作担当さんだけでは失礼です」ん?ちょっと待ってください。弁当を扱うのは製作担当。だから、本来は彼のみが挨拶に行く。僕も本来なら行かない。が、その工場の社長とは何度かお会いしているし、感謝の気持ちを伝えたかった。なのに、地元の方はスタッフ&キャスト総出で行ってほしいという。

「俳優もスタッフも弁当を食べたんだから、お礼に行くのは当たり前だろ!」

何でそうなるのか? まず、映画の世界では、俳優&スタッフに弁当を出すのは製作サイドとして当然のこと。それが映画界の決まり。ただ、製作担当者としては、超破格の値段にしてもらえたことで、製作費を節約大助かりだった。だから、製作担当者がお礼に行く。僕も感謝を伝える。

しかし、その地元の方の考えはこうだ。何かをごちそうになったら本人がお礼をいうべきだ。という一般的な発想なのだ。確かに、地元の家に呼ばれて、夕飯をごちそうになれば、呼ばれた客はお礼をいうのが当然。

ただ、映画撮影にその構図は当てはまらない。例えるなら、農家がある社員食堂に超破格で野菜を卸した。その食堂で社員が食事をした。お礼に行くのは社員食堂の担当者だ。食事をした社員はいつもと同じにご飯を食べただけ。なのに、社員も全員、お礼に行けというのと同じになる。

そして、もし、それを実行すれば、バスをチャーターして、1日スケジュールを空けて、皆でお弁当工場に行かねばならない。宿泊費も1日分プラス。当然、俳優事務所はクレームを付ける。なぜ、うちの俳優に挨拶まわりをさせる。

弁当を出すのは製作サイドの義務。演技以外のことをさせるなら、追加ギャラを寄越せというところも出てくる。結果、全員で行くことで、せっかく破格の値段にしてもらったのに、相当の出費をせねばならない。だったら、通常の業者から弁当を買った方が安上がり。



でも、その人は映画界の事情が分からない。できれば、先の社員食堂の構図を想像してくれればいいが、スタッフもキャストも皆、撮影隊のメンバーとひとくくり。全員でお礼をいいに行ってほしいと主張する。事情を説明すると、無理であることは理解してくれた。「じゃあ、監督と製作さんだけでいいよ」といい、彼は弁当工場の社長に平謝りしていた。

挨拶まわりを全て終えて、帰京しても、あとからクレームが来ることがある。「撮影終了から1ヶ月。なぜ、挨拶に来ない。あれだけ応援したのに失礼な!」と言われたこともある。なんで1ヶ月? と思ったのだが、その人の業界では1ヶ月後にあらためてお礼をするのが習わしなのだそうだ。

だが、こちらは編集の真っ最中。その上、製作担当はすでにプロジェクトを離れて、別の仕事をしている。おまけに、別の業界のしきたりを映画作りに押しつけられても困る。こちらは撮影終了。完成。公開。を区切りに挨拶に行っているのだ。そんなふうに先方には先方の習わしがあるのだが、それを映画作りにも当てはめて、怒られたことがある。

宗教の違いで戦争をする国がある。同じ反原発を訴えながら、些細な違いで互いを批判しあう人たちがいる。推進派を攻撃するなら分かるが、反原発を主張する同士が中傷し合う。どの分野も自分の価値観を絶対だと信じ、それを押し付けようとする。方法論が違えば、自分なりのやり方で進めばいい。違う相手を否定する必要はない。自分の価値観を相手に押し付ける必要はないのだ。

このFacebookでも、自分と意見が違うと長々と批判コメントして来る人がいるが、(或はダイレクトメッセージを送ってくる)それは自分のFacebookで書けばいいこと。なぜ、人は他人に意見や価値観を押し付けるのか? そんなことをときどき考えてしまう。




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