2013年10月10日
映画「朝日のあたる家」上映in松山 「朝日のあたる家」
シネマルナティック(愛媛県松山市にて上映予定の「朝日のあたる家」をブログ”いきるちから”が掲載しているので紹介します。
”いきるちから”を主催されている「子どもたちの未来を守る愛媛の会」事務局は、
シネマルナティックに上映をお願いしてそれが実現されました。
是非お近くでの上映が決まって見えない地域の方、単館上映館に上映依頼の行動を起こして下さい。
シネマルナティック上映予定 (愛媛県松山市) 10月26日(土)〜 11月1日(金) 089-933-9240
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いきるちから 映画「朝日のあたる家」上映in松山
この映画タイトルですぐに思い出したのは、娼婦に身を落とした女性が半生を懺悔する歌、アメリカのフォークソングです。私がよく聞いたのは、アニマルズの歌ですね。
けれど、今回の映画は、朝日のあたる家とは、娼館でも刑務所でもありません。自分が生まれて育ってきた故郷のわが家です。そして、その我が家は原発の放射線汚染で二度と戻ることのできないわが家なのです。
この映画は、端的に言いましょうね。原発反対、脱原発、それを訴える映画であります。私が、この映画を鑑賞する前に心に念じたことがあります。Facebookに、ちらとコメントしました。
「出る杭は打ちたくなければ無視するに限る。出る杭を認めれば自分まで出る杭になって打たれるからである。それがどんなに正義であっても。」
そして、その直後、
「そんな映画を観に行くつもり。仲間意識を持って。」と。そして、この映画を観に行ったわけです。そう、仲間意識をもって。
この映画でも、沖縄に移り住んで、お好み焼き屋を開業したおじさんとして登場する山本太郎さん。以前、どこかのテレビ番組で、原発容認派の知識人と討論している様子を見たことがあります。その時、彼がいかに雰囲気や感情だけで反対しているのではないことがよく分かりました。そして、容認派の方とのやり取りに対して、テレビ局側、映像では司会者とアシスタントであるのですが、あくまでも中立の立場で司会進行をしておりましたが、その報道の自由からすれば、とっても茶番劇な視聴率稼ぎに雇われている連中だ、そう見えてきたのでもあります。
この映画は、福島で起こった事故をもとにしながら、浜名湖のある場所(静岡県湖西市)を舞台とし、60㎞離れている運転休止中の浜岡原子力発電所での事故を想定して描かれています。放射のに汚染された大気に対し、国は避難勧告などを出すのに半径20㎞内とか、そういう距離で片付けますが、60㎞離れた朝日のあたる家が何故に汚染され住めなくなってしまったか、よく分かります。
逆に、福島の時もそうでしたが、国や報道機関は情報を抑制選別します。もちろん、人々に恐怖心を与えない、風評を出さないという配慮もあるのでしょうが、それは、言い方が突飛かもしれませんが、太平洋戦争真っ只中の大本営発表っと変わらへんのではないか、そうも思えてきます。
今回の映画の中心人物は、平田家4人家族(俊夫・良枝夫婦と長女あかね、次女の舞)です。並樹史朗、斉藤とも子、平沢いずみ、橋本わかなが演じています。中でも、最も放射線を浴びてしまっている次女の舞を見ていると、とても明るい性格だけに、切ないというか、怒りのやり場のない憤りも沸いてきます。そして、彼女を労わる姉あかねも、自分に同じような症状が起きると、泣き叫びます。そう、これが現実です。他人事で済まなくなったときの瞬間を見せられます。
あかね役の平沢いずみさん、中心人物として、観る者に一番共感を与える役してますね。あと、いしだ壱成、彼は脇で大切なキャラ演じてます。
私は、先に言いましたが、「仲間意識を持って」というのは、私自身、原発について意見を求められば、ずっと「脱原発」です。ただ、そんな私も、あの福島の事故が起きる前、CMやビッグサイトなどでのイベントでがんがん始まっていた、政府とも結託した原発安全広報に、電気は原発に頼らざるを得ないか、と洗脳されかかったこともありました。しかし、そういう広告に惑わされてはあかんのですね。
よく、こう言われます。
「じゃあ、おまえんち、電気いらないんけ。その電気、原発でできてるんだぜ」と。必要悪でしょうかねえ、こういうの。
でも、私から言わせれば、こういうのが一番危険なんですね。自分という人間に置き換えてみましょう。自分には悪い面がある。だから反省して自己否定もし改善して成長する。なのに、「俺はこういう人間だから仕方あるめえ」って、ずっと言っている頑固おやじみたいなもんじゃないですか。それって、ある意味、自分を騙して生きていくようなものでしょう。もし容認するということは、「国がこんなけ原発に頼って作ってきちまったもんだから、今更後戻りはできめえ。そういう国なんだよ、日本は」と同じですね。
私が先に「出る杭」と言ったのは、山本太郎のような人です。で、同感宣言すれば出る杭の一人になる。それが嫌なら、そして、逆に、じゃあ彼のような出る杭を打ちたくもなければ、無視をする。そうして、身近に問題がないなら、臭いものにふたをして生きていく。それが一番感じられたのは、この映画の後、あいちトリエンナーレの芸文会場を訪れたときです。そこでの一番大きな作品は、芸文センターに福島原発がすっぽり収まることを知らしめたものでした。トリエンナーレ自体については、また別で記事を書きますが、私たちは、いつでも、身近に問題が起きたら、どう応えるか、答えを用意しておくべきではないでしょうか。
「あなたは、原発、賛成ですか」と聞かれたら、
「No」と。
私が「No」と言える人間であるべきなのは、他国に対してではなく自国に対して、というのは、こういうことなんですね。戦争にNoなら、戦争放棄を明言している日本国憲法の第9条をなくさないこと。同じですね。
私たちは、今、いつのまにか臭い物に蓋をするというか、自分を騙して生きることを推進している政府のもとで生きています。明確に「原発再稼働」を叫んでおられます。最大の理由は、大手企業も国も儲かるからです。映画の中でも述べてます。おそらく、かつての自民党の手法しか脳みそにない、道路行政の活発化と同じ原理のアベノミクスなのでしょう。それに、いつでも同じ誤りは繰り返さないために「No」と言える自分、それこそアイデンティティだと思います。
もし再稼働なら、永田町に原発を移設する、地方自治体の官庁街に移設する、とか。あるいは国会議事堂を浜岡原発の敷地内に作るとか、それくらい言えないと、あかんと思っております。
映画の内容に殆ど突っ込んでおりませんこと、ここに、お詫び申し上げます。

”いきるちから”を主催されている「子どもたちの未来を守る愛媛の会」事務局は、
シネマルナティックに上映をお願いしてそれが実現されました。
是非お近くでの上映が決まって見えない地域の方、単館上映館に上映依頼の行動を起こして下さい。
シネマルナティック上映予定 (愛媛県松山市) 10月26日(土)〜 11月1日(金) 089-933-9240
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いきるちから 映画「朝日のあたる家」上映in松山
この映画タイトルですぐに思い出したのは、娼婦に身を落とした女性が半生を懺悔する歌、アメリカのフォークソングです。私がよく聞いたのは、アニマルズの歌ですね。
けれど、今回の映画は、朝日のあたる家とは、娼館でも刑務所でもありません。自分が生まれて育ってきた故郷のわが家です。そして、その我が家は原発の放射線汚染で二度と戻ることのできないわが家なのです。
この映画は、端的に言いましょうね。原発反対、脱原発、それを訴える映画であります。私が、この映画を鑑賞する前に心に念じたことがあります。Facebookに、ちらとコメントしました。
「出る杭は打ちたくなければ無視するに限る。出る杭を認めれば自分まで出る杭になって打たれるからである。それがどんなに正義であっても。」
そして、その直後、
「そんな映画を観に行くつもり。仲間意識を持って。」と。そして、この映画を観に行ったわけです。そう、仲間意識をもって。
この映画でも、沖縄に移り住んで、お好み焼き屋を開業したおじさんとして登場する山本太郎さん。以前、どこかのテレビ番組で、原発容認派の知識人と討論している様子を見たことがあります。その時、彼がいかに雰囲気や感情だけで反対しているのではないことがよく分かりました。そして、容認派の方とのやり取りに対して、テレビ局側、映像では司会者とアシスタントであるのですが、あくまでも中立の立場で司会進行をしておりましたが、その報道の自由からすれば、とっても茶番劇な視聴率稼ぎに雇われている連中だ、そう見えてきたのでもあります。
この映画は、福島で起こった事故をもとにしながら、浜名湖のある場所(静岡県湖西市)を舞台とし、60㎞離れている運転休止中の浜岡原子力発電所での事故を想定して描かれています。放射のに汚染された大気に対し、国は避難勧告などを出すのに半径20㎞内とか、そういう距離で片付けますが、60㎞離れた朝日のあたる家が何故に汚染され住めなくなってしまったか、よく分かります。
逆に、福島の時もそうでしたが、国や報道機関は情報を抑制選別します。もちろん、人々に恐怖心を与えない、風評を出さないという配慮もあるのでしょうが、それは、言い方が突飛かもしれませんが、太平洋戦争真っ只中の大本営発表っと変わらへんのではないか、そうも思えてきます。
今回の映画の中心人物は、平田家4人家族(俊夫・良枝夫婦と長女あかね、次女の舞)です。並樹史朗、斉藤とも子、平沢いずみ、橋本わかなが演じています。中でも、最も放射線を浴びてしまっている次女の舞を見ていると、とても明るい性格だけに、切ないというか、怒りのやり場のない憤りも沸いてきます。そして、彼女を労わる姉あかねも、自分に同じような症状が起きると、泣き叫びます。そう、これが現実です。他人事で済まなくなったときの瞬間を見せられます。
あかね役の平沢いずみさん、中心人物として、観る者に一番共感を与える役してますね。あと、いしだ壱成、彼は脇で大切なキャラ演じてます。
私は、先に言いましたが、「仲間意識を持って」というのは、私自身、原発について意見を求められば、ずっと「脱原発」です。ただ、そんな私も、あの福島の事故が起きる前、CMやビッグサイトなどでのイベントでがんがん始まっていた、政府とも結託した原発安全広報に、電気は原発に頼らざるを得ないか、と洗脳されかかったこともありました。しかし、そういう広告に惑わされてはあかんのですね。
よく、こう言われます。
「じゃあ、おまえんち、電気いらないんけ。その電気、原発でできてるんだぜ」と。必要悪でしょうかねえ、こういうの。
でも、私から言わせれば、こういうのが一番危険なんですね。自分という人間に置き換えてみましょう。自分には悪い面がある。だから反省して自己否定もし改善して成長する。なのに、「俺はこういう人間だから仕方あるめえ」って、ずっと言っている頑固おやじみたいなもんじゃないですか。それって、ある意味、自分を騙して生きていくようなものでしょう。もし容認するということは、「国がこんなけ原発に頼って作ってきちまったもんだから、今更後戻りはできめえ。そういう国なんだよ、日本は」と同じですね。
私が先に「出る杭」と言ったのは、山本太郎のような人です。で、同感宣言すれば出る杭の一人になる。それが嫌なら、そして、逆に、じゃあ彼のような出る杭を打ちたくもなければ、無視をする。そうして、身近に問題がないなら、臭いものにふたをして生きていく。それが一番感じられたのは、この映画の後、あいちトリエンナーレの芸文会場を訪れたときです。そこでの一番大きな作品は、芸文センターに福島原発がすっぽり収まることを知らしめたものでした。トリエンナーレ自体については、また別で記事を書きますが、私たちは、いつでも、身近に問題が起きたら、どう応えるか、答えを用意しておくべきではないでしょうか。
「あなたは、原発、賛成ですか」と聞かれたら、
「No」と。
私が「No」と言える人間であるべきなのは、他国に対してではなく自国に対して、というのは、こういうことなんですね。戦争にNoなら、戦争放棄を明言している日本国憲法の第9条をなくさないこと。同じですね。
私たちは、今、いつのまにか臭い物に蓋をするというか、自分を騙して生きることを推進している政府のもとで生きています。明確に「原発再稼働」を叫んでおられます。最大の理由は、大手企業も国も儲かるからです。映画の中でも述べてます。おそらく、かつての自民党の手法しか脳みそにない、道路行政の活発化と同じ原理のアベノミクスなのでしょう。それに、いつでも同じ誤りは繰り返さないために「No」と言える自分、それこそアイデンティティだと思います。
もし再稼働なら、永田町に原発を移設する、地方自治体の官庁街に移設する、とか。あるいは国会議事堂を浜岡原発の敷地内に作るとか、それくらい言えないと、あかんと思っております。
映画の内容に殆ど突っ込んでおりませんこと、ここに、お詫び申し上げます。

Posted by 見廻りくま at 08:15│Comments(0)
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