2013年12月01日
僕が原発事故の映画を監督した理由 [2013]「朝日のあたる家」

最近、よく訊かれることがある。
「なぜ、太田監督はそこまで『朝日のあたる家』宣伝に力を入れるのですか?
休養も取らず、連日宣伝活動。体が心配です。
それ以前に原発事故の映画を撮ること自体が凄く危険。
先輩たちからも、二度と商業映画を撮れないぞ!と言われたんでしょう?
いろんな意味で心配しています........」
確かに先輩たちから、そう言われた。実際、日本の原発事故を映画にした監督はまだ2人しかいない。映画会社が作りたがらないだけでなく、「監督しよう!」という者もほとんどいない。皆、続けて映画を作りたいし、誹謗中傷されたくないから。
でも、僕は何を言われても、福島を見つめることが大切だと思えた。もちろん、映画でなくても、それを訴えることはできる。でも、どんな手段で伝えるより、映画というメディアを使うことが一番伝わる。次第に「殺されても作るべき作品!」そう思えてきた。
偶然にも(?)僕は映画監督という仕事をしていた。毎回、遺作と思ってかかる。だったら、二度と映画が撮れなくても、遺作なんだからいいや!と思えた。遺作に相応しい題材だ。
そして映画で福島の現実を伝えることで、誰もが「答え」を見つけると思った。数値で議論することより、子供たちの未来を考えることで、日本人が進むべき方向が見えると考えた。
「親子に伝える大切なこと」
僕の映画のテーマだ。「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ。それを避けて、今後も商業映画を撮るのなら無意味。だから「朝日のあたる家」を作った。
多くの人の支援、応援、声援で、上映してくれる映画館がゼロだったのに23館まで広がった。異例なことだ。
だったらあとは、1人でも多くの方に映画を見てもらいたい。ただ、上映館がもの凄く増えたので宣伝費がもうない。といって、ここで止められないので自腹で続ける。宣伝スタッフを雇う余裕もないので、配給会社の人と2人でやっている。
2人で地方まわりをすると交通費がかかるので、僕1人でまわる。それで、多くの人に映画を見てもらえれば「朝日のあたる家」を作った意味がある。二度と商業映画を撮れなくても、大きな意義が残る。全国での公開も終盤。あと、一息がんばります。

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