皆さんで太田隆文監督の映画「朝日のあたる家」を応援しましょう。

2013年12月02日

映画「朝日のあたる家」 広がりを実感した理由  

映画「朝日のあたる家」 広がりを実感した理由  

朝日のあたる家」を批判する映画レビューをいくつか見つけた。批判であっても「なるほど、そういう見方もあるんだな」というのもある。が、今回読ませて読ませてもらったものはこんな感じ。「学生映画でもここまで酷い作品はない」「これをロードショー公開するのは片腹痛い」という全面否定。残念ながら「なるほど」!という指摘はなかった。

 一般的に批判の多くは挙げ足取り。ないものねだり。見当違い。ということが多い。或いは「自分の趣味に合わない=>だから駄目」やはり「なるほど!」と思わせる批評を書くには、それなりの知識や表現力が必要。なかなか、お目にかかれない。

 最近多いタイプはこれだ。説明過多なテレビドラマばかり見ているので、全てが説明されず観客自身も考えねばならない映画を観ると「説明不足のダメな映画だ!」と。自分の力不足を棚に上げて批判するケース。

 それでなくても若い人には相手の気持ちを思いやるのが苦手な人が多い。その種の人も同じ感想を持つことが多い。いずれにしても批評は諸刃の剣。批判することで自身の姿がそこに現れてしまう。

 しかし、批判がでるということは、嬉しいことなのだ。というのも、少し前まで「朝日」は絶賛に次ぐ絶賛だった。これを厳しく観ると原発事故に関心を持った人が多く見てくれたから、と考えることもできる。だから支持してくれた。それが批判する声が出るということは、原発事故には関心のない人も見てくれているということだ。

 先の「学生映画でも」という人は学生映画も観るほど映画マニアなのだ。そして多くの人が絶賛する映画は必ず「俺は認めないぜ」という、ある意味ひねくれた人たちが出て来る。でも、それらの人たちがわざわざ映画館に行って見てから、批判しているということ。そんな人たちまで巻き込んでしまうこと自体が凄いことなのだ。(当然、原発に興味ない人で、映画を見て評価してくれた人も数多く出たということ)

 映画の盛り上がりというのは、最初に絶賛が続く。やがて批判が出る。批判が出るというのは、作品が広がったという証。そのあとはどうなるか?今度は映画を見てもいない人がネット上で映画批判を始める。文章を読めば実際には見ていないことは分かる。その多くは抽象的な批判。撮影がよくない。編集がよくない。俳優が下手。どんな映画にでもできる批判。具体的な表現はない。

 なぜ、見てもいないのに批判するのか? それはあちこちで映画の評判が良過ぎてムカつく人がいるからだ。人が褒めると、けなしたくなるという人がいるから。でも、それらの人は小さなことには目くじら立てない。大きな賞賛でないと、批判をしない。

 つまり批判はある意味で支持者がかなりふえたというバロメーターでもあるのだ。確実に「朝日」は全国に広がっていることを感じる。皆様の応援のお陰です!




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