2013年12月22日
「朝日のあたる家ーはシュミレーション映画だ」という支配人?(5ー終)

だからこそ、原発事故に自分自身が巻き込まれた気持ちになり
痛みや苦しみを感じる。
他人事にならず、自分のこととして体験できる。
シュミレーションドラマや再現ドラマでは絶対に伝えられないもの
伝えられる。
が、こんなスタイルの映画はあまりない。
映画に詳しい人ほど、その辺で戸惑う。
カテゴリー分けができない。
だから、無理矢理、テレビ番組のジャンルである
「シュミレーションドラマ」とか「再現ドラマ」という解釈をする。
しかし、そのことで本質を見失うのだ。
「朝日の」を作る上での目標はこれ。
① 福島で何が起こったか? をリアリティを持って描くこと
② 観客が他人事ではなく、福島の人たちと同じ痛みや苦しみを感じること
この2つが重要だった。
①だけなら再現ドラマで描くことができる。が、先にも書いたように
観た人が他人事となる可能性が高い。
だから②が重要。
そのためには、舞台を福島にせず。別の町に移す。
しかし、近未来の物語にはせず。福島と同じ展開をあえて描いた。
それによって、②を体感することができるのである。
先の支配人さんにもそう説明した。ら、
後日、彼のブログにこう書かれていた。
「これは近未来のシュミレーション映画だというと、
『違います。別の町で福島の現実を描いた今の物語です』
といわれたが、未来を描かずして、メッセージを伝えることはできない。
それに気づかない。監督の将来性に不安を感じずにはいられない」
........結局、分かっていない。
未来を描くこと=メッセージではない。
過去を見つめること。福島の原発事故を見つめることこそが第一歩
近未来に起こるであろう第二の原発を事故(彼はそれが「朝日」と思っているが)
それを描くことにはあまり意味はない。
カテゴリー分けにこだわる人は結局、本質にたどり着けないようだ。
まず、福島の悲劇を見つめ、知り、理解すること。
そこが全てのスタート地点。
「朝日のあたる家」の意図はそこにあるのだ。
(了)

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